2010年12月14日火曜日

私たちはいつから“バカ”になったのか? 「思考停止」状態から逃げよう

某大手超優良企業の常務取締役でカンパニープレジデントを務める筆者の親しい友人は、いつも忙しそうです。昼間は様々な仕事に追われ毎週末仕事を自宅に持ち帰り、現クォーターの決算や翌クォーターの計画、新規事業の計画を並行してこなしながら海外出張を月1回のペースで繰り返すその姿は、正にビジネス・エクゼクティブそのものです。

超大企業の常務の悩み

 そんな彼が良くぼやくのは、直面する数々の課題をこなすことに忙しい周囲の人間との話題不足。ビジネス以外のテーマに関して、ワイドショー的な底の浅い話は出来ても、そこから先の長期的な話や、世界や日本の政治、科学、経済、宗教、文化を俯瞰する話になるとお互いにネタが続かないと。
 企業などでスピーディな意思決定を合理的に行うためには、タイムスケールを近い将来に置き、自らの理解と影響力が及ぶ範囲に前提を置く事が必要となります。結果として、各人はどうしてもタコつぼ縦割りの中での意思決定になりがちです。
 最近の企業や役所は、四半期決算やころころ変わる政権や大臣のせいで常に刹那を生きているため、組織内部における意思決定の優先順位の中、長期的かつ俯瞰的な視点は思いっきり下がっています。
 そして、テクノロジーの進化により、日常はどんどん忙しくなって行く。携帯電話がスマートフォンに転換したことで、いよいよ、ビジネスパーソンにとっては最後のリゾートで有った電車の中やトイレまでが、仕事場になろうとしています。
 こんな時代に生きる我々は、長期的かつ俯瞰的な視点で考え話す機会を意識的に自ら作りだしていかない限り、一見、自分に関係のないように思われる政治、外交、社会、グローバルといったテーマに関しては、思考停止の状況に容易に陥ってしまうのではないでしょうか? 健全な知識層の衰退は、日本にとって危機的な状況をもたらします。
 私は、思想家や学者ではありません。守るべき立場や代表する組織もありません。ただ一介の経営コンサルタントとして顧客と共に悩みつつ、2000年からISL、九州アジア経営塾、東大EMPなどの次世代リーダー育成塾を通じて、平均年齢45歳程度の企業や官公庁における将来のリーダー候補たち数百人と共にずっと学んで来ました。
 最近は、私が政府関係の幾つかの委員会メンバーに就任した事で、学んだ事を実践すべく、受講生や修了生のボランティアメンバーと共に議論を重ねながら政策の立案に臨み、それをプロジェクトとして具体的に実践していく活動に励んでいます。私がその中で拘っているのは、とにかく長期的かつ俯瞰的な視点に立った議論を行うこと。議論の場ではとかくそのような視点が欠けていることが多いので、しつこいくらいに拘っています。
 これから始まる連載の中では、このような学びと実践の中から私の身の丈で獲得したエッセンスをさらけ出すことで、皆さんが長期的かつ俯瞰的な視点の中で、仲間や友人、家族と話していけるようなネタを提供して行きたいと考えます。
 数十年という長期的な時間の中で俯瞰的に物事を見ることによって、現実に起こっている事柄がまた違った色に見えてくる。そのような経験を少しでも多く味わって頂きたいと思っています。

 

日米中の関係を考えるヒント

 本日の1回目は、尖閣問題で話題の日米中の関係を取り上げてみたいと思います。
 最近、中国の台頭がいたるところで話題になっています。確かに、中国経済は日本を抜き世界第2位になり、その差は開こうとしています。しかし一方で、1人当たりのGDPや技術レベルなど、日本の方がまだまだ大きいので捨てたものではない、との議論もあります。定量的に見て現在はどのような状況に有るのか、そして過去から現在に至るまでの経緯はどのようなものであったのでしょう? そのことを理解するために、相互の輸出比率を相互経済依存度として定量化してみたのが、次のグラフです。


 

このグラフをどうご覧になりますか。1990年、中国の輸出相手先として断トツの一位は日本です。一方で、日本にとって中国はマイナーな輸出先の一つに過ぎませんでした。
 ところが、2009年になると、中国にとって日本は10%以下の輸出相手先です。一方で、日本にとって中国は米国を超え最も重要な輸出相手先になっています。つまり経済面で見ると、この20年、特に2000年以降の10年間、日本と中国の立場は劇的に変化したのです。

尖閣列島の問題で、なぜ中国があそこまで強気になれるのか、そして日本が、ともすれば弱気と思われるような対応に終始したのか、根本的な理由はここに有るのです。
 そしてこのチャートを見る限り、現在の傾向が未だ暫らく続くとすれば、差は更に拡がっていきます。
 かつて日本は強大な軍事力と経済力を背景に、台湾から遼東半島、上海、満洲国と中国に浸食して行きました。ともすれば清朝末期の状況を彷彿させる我が国は、尖閣列島はおろか沖縄、九州と失っていくことになるのでしょうか? もし米国という強力な後ろ盾を失えば、それが現実味を帯びて来ます。米中の狭間にある我々のジレンマが、そこに有ります。
 そして北方には、再び強大化しつつあるロシア。我々は、転換期にある世界に於いて、極めて戦略的に国の舵取りを行っていかなくてはなりません。
 長期的かつ俯瞰的に考えるために、まずはこの20年を振り返ってみましょう。

 

20年間の出来事を振り返っておこう

 1989年には色々な事が起こりました。6月3日には、前年から政界を揺るがしたリクルート事件の結果竹下内閣が退陣、翌4日には、中国で失脚したまま軟禁状態に置かれていた胡耀邦元総書記の死を契機に発生した天安門事件が、悲惨な流血の事態を迎えました。12月にはベルリンの壁が崩壊、そして日本のバブルは頂点に到達しました。まさに歴史的な転換点の年であったといえるでしょう。
 そして迎えた1990年、激動の余燼がくすぶる中、天安門事件の直後で世界から孤立する中国にとって、あらゆる意味で日本はクリティカルな国でした。経済的にも最大の輸出相手国であり、世界との関係に於いて、孤立を避けるため何としても歓心を買わなくてはならない相手が日本でした。一方で、日本にとって中国は過去の経緯から特別な関係にあり、かつ将来的に重要な国、しかし、安全保障や経済面からみる限りは、それなりに重要ではあるが決してクリティカルな存在ではありませんでした。
 世界から孤立する中国は、危機感を強めていました。香港やマカオからどんどん人材と資金が流出し、日本を除く世界の先進国は中国の留学生すら受け入れません。日中友好、一衣帯水、そのようなスローガンが叫ばれ、公式非公式を問わず様々なレベルで、中国から日本への働き掛けが繰り返されました。
 そして、中国との関係を重んじる日本人たちの尽力で、日本は1990年の末に第3次円借款8100億円を再開しました。次に、中国の硬軟織り交ぜた懇願に応じる形で、1992年には天皇訪中を実現、結果としてその動きに先導されたように西側諸国は中国との交流を徐々に再開しました。
 一方で中国は、西欧諸国との対立を尻目に、長年の懸念で有った(1960年代には軍事紛争さえ発生した)ロシアとの国境画定に着手しました。まず1991年、ソビエト連邦が崩壊する直前というタイミングで、極東の国境線を中国に有利な条件で画定しました。1994年には中央アジア部分を画定、その際には並行して独立後の混乱が続く中央アジアの旧ソ連諸国とも国境を画定。そして2004年にはプーチン大統領と胡錦濤国家主席の政治決断で、全てロシアが実効支配していた3つの島を、両国で2つに割る形での決着という、中国にとっては非常に好ましい条件での合意に到りました。
 新たに大国としての道を歩み始めたロシアにとって、中国とのパートナーシップを確立することは極めて重要で有り、そこを突いた中国の交渉の積み重ねが、見事な成果を生みました。
 天皇訪中を皮切りにした西欧諸国との交流再開以降、中国がGDPで日本を抜き去るまでは経済的にはほぼ一本道でした。日本の高度経済成長と同様におよそ20年この傾向が続いたとことは、中国がそもそも有しているポテンシャルの高さに加え、中国指導部の統治能力の高さを証明しているような気がします。そして今、中国はいよいよ鄧小平の遺言「能ある鷹は爪を隠す」を破り、その爪を剥き出して来たのです。
 そのような中国に対して日本は、経済的な国力という意味ではピークを迎えていた1989年から今までの間、何をしたのでしょうか?

 

残った実績は結局、「ODAをひたすら提供したこと」

 外交的には、とにかく援助を行いました。ODA大国ということで、日本はどこに行っても歓迎され、国際機関におけるポストも増え、世界的な評価も高まりました。一方で、懸案であった領土問題に関しては何ら実質的な進展がなかったのは、尖閣列島や北方領土の問題が顕在化したことで改めて明らかになりました。
 最近の外交に関する諸問題を見て、経験のない民主党内閣や閣僚の稚拙さを揶揄することは簡単ですが、本質的には長年の不作為がもたらした問題が一気に噴出しているということであると思います。
 それでは民間はどうでしょう? ロックフェラーセンター、コロンビアピクチャーズその他、多くの巨大米国企業の買収は、ことごとくと言っていいほど失敗し、巨大な損失を出して撤収をしました。日本が国力のピークを迎えた際、成果として誇るべきものはとにかくODAをひたすら提供したことです。世界は日本を歓迎しました。


しかし残念ながら、それは国益という観点では、領土問題の解決や国連における地位強化といった見るべき成果を残していません。
 皆さんと一緒に議論するため、この場ではあえて物事を単純化して言いましょう。日本にとって「中国との間で尖閣列島やガス田などの問題」に関して、少しでも日本にとって有利な取り決めをする最大のチャンスは1992年の天皇訪中の前、そして「ロシアとの間の北方領土の問題に関する取り決め」については、1991年のゴルバチョフ大統領来日から1998年のエリツィン大統領来日後迄の期間であったのでしょう。
 歴史の相場感として考えれば、この時点で日本が問題を解決していない、ことはおろかこれら領土問題に関して何ら具体的な橋頭保を獲得していないことは、残念でなりません。


 あらためて、グラフを見てください。

“大胆な提言”皆さんはどう思いますか?

 今後10年を考えると、彼我の経済的な力の差は、更に大きくなっていきます。そして軍事的な力の開きは、更に大きくなっていく事を考えると・・・ここから10年、我々は領土問題に関してどのような外交を行っていくべきでしょうか? 議論をすすめ実行に移すためあえて以下のことを提言したいと思います。
・北方領土: ロシアとの間で2島返還で国境線画定し平和条約締結。他の2島に対して日本 は、漁業権や地下資源などの特殊経済的権益、およびビザ無き渡航権を確保。合わせて、千島列島、樺太、東シベリアに対して、日本に特殊な経済的権益を認めた上で、各種共同経済プロジェクトに着手。ここには西欧諸国の参加も促す。
・竹島: 韓国の実行支配権を認めたまま、経済的権益に関しては共有する。
・尖閣列島: 日本固有の領土として支配を続けると共に、周辺へ自衛隊の配備を進める。
要は、これからも徐々に相対的な経済力の低下に伴い地位が低下する日本は、ロシアと韓国との間で各々北と西の国境問題を経済的・友好的に解決し、あくまで勃興する中国に対しては筋を通し続ける、 

という考え方です。
 
皆さんはどう思いますか?

第1回目ということで、いくつかの考える材料をお出ししました。もちろん、私の提言は一つのアイディアであり、これに縛られる必要は有りません。これから10年の外交と安全保障を、周囲の方々も含め、是非自分の問題として考えてみませんか。