2011年1月31日月曜日

嗚呼 “ニッポン”は遠くなりにけり 「日本人って何?」に答えるための「超・近代史」(前編)

大手ハイテクメーカーで事業本部長を務める私の友人は、社内でも「国際派」で知られています。彼は高校時代に交換留学生としで米国に滞在したことをきっかけに、会社に入ってからも主に海外でキャリアを積んで来ました。本社で部長を経験したのち、体制に問題があった米国現地法人に社長として就任、見事、会社を立て直しました。次にこれもまた問題があったヨーロッパの統括現地法人も立て直し、今は本社で事業本部長として日本を含む全世界、なかんずく中国を中心にした成長するアジア市場の開拓に注力しています。  各国首脳や閣僚クラスとの社交も難なくこなす彼は、よくこんなことをつぶやくのです。
 「業績が悪かったアメリカ法人は米国人経営者に食い物にされていた。でも、もともと米国人は単純明快なので、明快な目標のもと全社員を巻き込む活動で会社を変えることができたんだ。ヨーロッパの統括法人には沢山の国が参加しており、それぞれ風土も違ったんだけど、各国の代表ときちんと話せば、それなりに心が通じる。それでずいぶんスムーズに物事が進むようになった。
 今取り組んでいる中国やアジアは国によってずいぶん違うし、民族によっても違う。同じ中国でも、北と南では大きく違う。多様なアジアでは日本の影響力も大きいし歴史問題などもある。そんな背景をもった人たちと一緒に働いていると、改めて自分が日本人で日本の会社を代表していることを意識する。
 でもそのことを意識しながら会話する度に思うんだ。
 「日本人である自分のアイデンティティは何か?」と。それが無いと相手からバカにされることは判っているので、一応、何かは言っているんだけど。とても同僚の日本人との議論には堪えない内容だよ」
 高度経済成長の時代は、「エコノミック・アニマル」という言葉がありました。バブルの時期には、「ジャパン・アズ・NO.1」という言葉も。でも、これらの言葉は日本固有のものでしょうか?
 今やアフリカを含め世界でビジネスに打ち込む中国を、「エコノミック・アニマル」と呼ぶことは可能でしょう。「チャイナ・アズ・NO.1」と言っても、全くおかしくありません。つまりこれらの言葉は、国家のある局面や状態を表していますが、共通のアイデンティティたり得る固有の独創性や特徴を表現したものではありません。
 我々はどうも、アイデンティティ無きままに繁栄を貪り、そして今は緩やかな衰退を迎えているように思えます(この先は滝のようなフリーフォールかもしれません)。日本でも、沢山の思想家がこのテーマに挑戦して、様々な答えを出して来ましたが、筆者も折に触れ考えて、常に自分なりの答えはまだ浅いとは思いますが持っています。そこで、このコラム「ニッポンを議論する基軸」でも、主として明治以降の歴史を手繰りながら、皆さんが、日本と日本人のアイデンティティを考える材料を提供してみたいと思います。

 

碩学に学ぶ「そもそも日本とは?」

 今回展開するのは明治以降の歴史を中心にした話ですが、それ以前の時代も含め、そもそも日本がなぜこのような歴史をたどり今のような社会・文化的特徴を有する国となったのでしょうか。まずはこの辺りから振り返ってみましょう。

 このテーマは、近隣諸国や地域との交流関係を中心にした社会・文化の地政学を俯瞰的に見ていくことで、ある程度は理解できます。
 筆者など遥か遠くに及ばない知識と思考能力を有すると思われる松岡正剛さんが事務局長を務める「日本と東アジアの未来を考える委員会」が、約2年の討議と調査を踏まえて作成した「平城京レポート」を、昨年12月奈良県が平城遷都1300年記念事業の総仕上げとして国に手交しました。
 内容に関しては、2011年1月14日付日経新聞の経済教室をご覧いただくか、直接「平城京レポート」を見ていただきたいと思いますが、経済教室に掲載された松岡さんの簡潔かつ明瞭な要約をほぼ引用すると、以下の通りです。
・古来、シルクロードは日本とつながっており、様々なものが日本に渡来して来た。そして約1300年前の平城京に於いて、政治システムや言葉や宗教を始めあらゆる東アジアの特色を凝縮したような政治経済社会モデルが1つの完成をみた。
・平安時代からは、例えば漢字から仮名を作ったように、東アジア共通性からの離脱や自立が図られ、徳川の鎖国期に於いてはそのような日本化が完成の域に至った。
・幕末維新からは、西洋列強のシステムとテクノロジーの丸ごと導入に踏み切り、それが帝国主義から過剰なナショナリズムと大アジア主義を蔓延させ、結果的に太平洋戦争の敗戦に至った。
・現在の日本は各地に米軍基地を受け入れ、どちらかと言えば東アジアとの交流よりもグローバルスタンダードを全面的に受容する国となっている。

シルクロードの東端に位置する島国であり、アメリカから来るとアジアの入口にある日本には常に様々なものが流れ込んでおり、あらゆるものが「ごった煮」の状況を呈しています。
 日本語を始めとした日本文化の柔軟性に関してはよくいわれるところですが、このような地政学的な位置づけに負うところが大きいと筆者は考えます。
 ところで、「侘び寂び」に代表されるような文化の日本化が大きく進んだのは、室町時代、ダメ政治家であった足利義政が居住した銀閣寺を中心に展開された東山文化です。彼の優柔不断な政治が引き起こした「応仁の乱」は、当時の人民たちにとっては災難でしたが、一方で、当時の文化人たちが乱戦の京都を逃れ、地方に降ったことで、我々日本人は共通の文化的基盤を有することができました。さて同様に、現在の民主党政治の帰結が後世に何をもたらすのか、興味深いところです。

 

黒船襲来、1853年の世界と日本

 
膨張する帝国主義はついに、東と西から日本に到達しました。その時、日本の国力は西欧の主要国と比較して劣り遅れていましたが、大国としてのポテンシャルは有していました。時間的なその差はどの程度のものであったのか、先ずは確認してみたいと思います。

 地政学的にみて、日本はアメリカから見てアジアの入り口に位置しています。そして、ロシアとはその広い国土の東端で狭い海を隔てて国境を接し、ヨーロッパから見ると最北東端に位置しています。幕末にそれらの国々が同時に日本に押し寄せたのは、各国の海外への展開と地政学的な状況が重なり合った結果でしょう。徳川幕府が200年以上も続きそろそろ陰りが見えていた時期に、そのような有力国が睨みあう形で日本に押し寄せたのは、偶然とはいえ、幸運なことでした。
 日本がアジアの東北端に位置する島国であるということは、歴史を振り返った時、征服を受ける機会が極めて少なかったことや、多くの文化が交わりかつ末端であるがゆえ熟成が可能であることなど、色んな意味で日本に幸運を与え続けていると筆者は考えます。
 黒船襲来を迎えた日本がその後、明治維新を迎えた経緯は、テレビドラマ「龍馬伝」などを見ても判ります。そこに描かれている日本は、西洋から遅れた“ちっぽけな島国”です。
 ですが、実際のところ、1853年頃の日本は世界と比してどのような状況にあったのでしょうか?
1850年の世界の主要国の人口とGDP
国名人口
(1000人)
購買力平価GDP
(1990百万国際ドル)
一人当たりGDP
(1990国際ドル)
中国412,000247,200600
インド235,800125,681533
日本32,00021,728679
ドイツ33,74648,1891,428
アメリカ合衆国23,58042,5851,806
イギリス27,18163,3312,330
引用 Angus Maddison(故人)のホームページより
 GDPに関して、購買力平価でならして1990年のワールドダラーに換算するためには、160年以上を隔てた市場における商品とその価格を比較する必要があります。具体的に何をどう比較するかという点には議論の幅が大きいところだと思いますので、ここでは絶対的な金額の議論はひとまず置き、相対的な比較をしていきたいと思います。
 先ず人口でみれば、中国、インドは別格として、この時期の日本はアメリカ合衆国やイギリスより多く、ドイツやロシアに匹敵する人口を有し、充分に「大国の仲間」であるといえます。
 経済規模でいえば、産業革命が進行し高度経済成長期を迎えている西欧の国家には敵いませんが、1人当たりでみると中国やインドよりは若干豊かです。ちなみにこの頃の西欧諸国は、植民地獲得の効果もあったのでしょうか、経済成長のスピードが非常に早くGDPが5年や10年で倍増するような時期でした。
 軍事力は、黒船騒ぎに薩英戦争や4カ国艦隊との戦いの帰趨を見ても明らかなように、相対的な比較ではとても弱かったと思います。
 1871年に再統一を成し遂げたドイツとの比較でいえば、その中核となったプロシアに於いて富国強兵策が進んだ30年程度の時間差が、数字であらわされる経済規模以上に軍事力を含む国力の差であったのでしょう。
 国力という点で日本は、大国としてのポテンシャルを有するものの、主として西欧諸国に30年から80年程度の差をつけられていた、と思われます。帝国主義という国家利害が力と力でぶつかり合う当時の世界に於いては、非常に危険な状況であったことは事実でしょう。
 ただ、その時期、膨張するヨーロッパ帝国主義の周辺で、中国、インドに加えトルコ、エジプトといった世界の立ち遅れた大国の中で「日本だけが独立を保ちながら自らを改革し、最終的には列強の仲間入りをするにいたった」ことに関して、我々は先祖たちを誇りに思って良いと思います。

その理由に関してとしては、東京大学の山内昌之先生が色々と分析をされていますので、機会が有ればぜひ本を購入して読んでいただきたいと思います。
 私はその理由は、前述した【1】地政学的な幸運に加え、【2】支配層の志の高さ、【3】国民個々の能力と倫理観の高さ、そして【4】前向きな忍耐力、であったのではないかと思っています。

 

 

富国強兵、文明開化、殖産興業 キーワード、スローガンの時代

 
明治維新から大日本帝国憲法の発布と国会開設に到るおよそ20年は、日本はおろか世界の歴史上、最も大きな近代化のスピードを経験した時期であると思います。そして、その結果、日清、日露の両戦争に勝ち、日本は列強の仲間入りをしました。しかし、その一方で、統帥権の独立という最大かつ本質的な問題を内在させてしまった原因は、当時の指導者たちの甘い見通しによる判断でした。


 

1868年の明治維新の年、日本各地は戦争に明け暮れました。その中、「御親兵」という天皇の軍隊、すなわち日本軍の原型が薩摩長州を中心にした勤皇藩の拠出により成立しました。
 そして1871年に鎮台の武力をバックに行われた廃藩置県は、半ばクーデターのような新政府による旧来権力である藩主からの統治権剥奪です。ここで日本は地域主権の連邦体制から、一気に平城京時代の中央集権体制に戻りました。
 1873年の新貨条例で通貨を統一、全ての藩の藩札を新政府の太政官札と等価で交換しました。インサイダー情報に基づき暴落した藩札を買い集めていた岩崎弥太郎は、等価交換で得た巨万の富で三菱グループの礎を築きました。更には秩禄処分で当時の公務員であった武士を大量に解雇。武士たちは、不平不満から数々の反乱を起こしました。
 それが頂点に達した西南戦争の敗者である西郷隆盛、そして後を追うように暗殺された大久保利通の後継者たちはその後も改革を続け、1889年には大日本帝国憲法の発布と第1回の衆議院選挙を実施しました。これは、1868年の明治維新から21年後のことでした。
 この間わずか21年です。1990年のバブル崩壊から今年は21年目、比較するに、とても同じ時間とは思えません。ちなみに、日本が変われない21年の間に、世界は1989年のベルリンの壁崩壊から劇的に変化したのは第1回で説明した通りです。
 このように日本を変える力の源は何だったのでしょう。
 これに関しては語られていますが、筆者が考える最大の理由は、明治維新の成功要因と同様、強力な中央集権のもと指導者の高い志に基づいたリーダーシップと能力の高い国民だったと考えます。
 当時の日本では、帝国主義の世界に於いて富国強兵という判り易いスローガンのもと、軍事優先主義と呼んで良い軍事力増強政策がとられました。
 それを端的に示すのが、「高等教育の整備」です。そもそも東京大学医学部は、軍医を養成するために設立されました。工部大学校(今の東京大学工学部)は、兵器や爆弾を研究するために設立されました。そして黒船襲来以降、欧米の書物を頼りに模型の様な高炉や反射炉や造船所で、軍艦や大砲を作ろうとした人たちの努力は、自前の官営八幡製鉄所と長崎造船所に結実しました。
 東京大学(現在の東京大学法学部)は、石炭や金・銀を輸出し外貨を稼ぎ、絹織物を生産する繊維産業を始めとした富国のための産業を育て重税を徴税し、その全てを用いて武器を購い、殖産興業の投資を賄う事を司る能吏を育てるために、設立されました。
 この3つの学部に加え、ネーションステーツの文化的基盤を作る為に日本史を整理し、西洋文化を吸収するための基盤として西洋の語学や文化研究を行う文学部に、軍事の為に重要な天気予報や地図作成に加え工学や医学の背景となる物理や化学の理論研究を行う理学部が、設立当初の東京大学における5つの学部でした。
 そして黒船襲来からおよそ60年、日清、日露の両戦争の勝利から不平等条約を解消し晴れて列強の一員となるまで、日本は一丸となって努力した結果、西欧に「追いつく」ことを実現したのです。

ただ一方で、将来に向けての問題もこの時期に内包されました。その最大のものが、統帥権の独立という問題です。大日本帝国憲法において、軍の統帥権(最高指揮権)は天皇にありました。その中で、作戦・用兵に関する統帥に関しては、武官である参謀総長及び軍令部総長が、輔弼(補佐)するものと解釈されていました。
 この時期、軍事優先政策は当然であったと思いますが、マックス・ウェーバーがいうところの「暴力装置」の最たるものである軍に、文官のガバナンスが決定的に欠落していたことは、後に、大きな悲劇を生む根本的な原因となりました。
 それは優れたリーダーであった当時の指導者たちにとって、痛恨の失敗であったと言えるでしょう。
 「和魂洋才」といっても、所詮は自ら血を流しつつ経験に基づいて作り上げて来た制度では無かったことが、こうした致命的な過ちを生んだといえます。輔弼する元老たちにより、天皇の権威によるコントロールが可能であると、指導者たちは考えたのでしょうか・・・
 五・一五事件や二・二六事件の際、天皇が信頼する元老や内大臣は常に襲撃のターゲットになりました。そして、五・一五事件では文官である首相が暗殺されたにもかかわらず、特に軍人に対して判決が甘かったのは、国民の中で強い助命嘆願の世論が巻き起こったからです。国民も同様に、軍のガバナンスに関しては無知であったのです。
 帝国憲法制定の当時、人間は過ちを犯すものであるとの前提で、西欧の有識者たちとの徹底した議論によるレビューがあれば、このような致命的な欠陥が内在されることは無かったのではないか・・・・筆者は残念でなりません。
 このように日本の組織の統治、ガバナンスが弱いのは、もともと西洋からの借りもののシステムのもと、ともすれば同質的な日本人が運営をすることに起因するところにあると、筆者は思います。企業における社長のツマラナイ独走を招いたり、逆に強力な変革に向けた強いリーダーシップを組織文化として阻害するなど、その表象は今の日本においても多くみられるところです。
 参考までに、「統帥権独立の考えが生まれた源流」をWikipediaより転載しておきます。機関として、天皇のもとで「暴力装置」を管理するために必要な制御装置の準備が、充分な経験と認識による実感が不足していたために不十分であったであろうことが、結果論かもしれませんが良く判ります。
 『当時の指導者(元勲藩閥)が、政治家が統帥権をも握ることにより幕府政治が再興される可能性や、政党政治で軍が党利党略に利用される可能性をおそれたこと、元勲藩閥が政治・軍事両面を掌握して軍令と軍政の統合的運用を可能にしていたことから、後世に統帥権独立をめぐって起きたような問題が顕在化しなかったこと、南北朝時代楠木正成が軍事に無知な公家によって作戦を退けられて湊川で戦死し、南朝の衰退につながった逸話が広く知られていたことなどがあげられる』
 いずれにしても、近代化を駆け抜けながら日清、日露の両戦争に勝利をおさめ以下に示すように、日本は、「大国のポテンシャルを有する途上国リーグ」からおよそ今から100年前に抜け出し、1850年のドイツ並みに豊かになりました。
 ニッポンはいつから変わったのか。変節のポイントとして上げるならば、まずは1910年頃。ニッポンは「途上国」から脱したのです。そして、その時点から今まで100年の間で何が起きたのか。次回はそれを振り返ってみたいと思います。

2011年1月6日木曜日

100件以上の読者コメントに答える~「私たちはいつから“バカ”になったのか」

1級小型船舶操縦士免許を有するヨットマンの企業幹部で私の友人は、前回のコラム「私たちはいつからバカになったのか」を読み、六分儀を使った自船位置測定法のことを思い出したそうです。  かつて1級小型免許を取得するためには、天体観測による位置測定その他多くの手法を用いた測定実習を行い、必要があった。その理論的背景を学び実践することが求められていた由、次のようなメッセージを伝えて来ました。
 「大上さんの記事を読んで、企業経営や経済、社会のことなど、判っているようで改めて判っていなかったことを実感した。僕は、デジタルに提供される天気予報や海図の上にGPSで表示される自船や他船の位置を見て操船をしているだけの、地球の真実を知らないヨットマンが増えて来たことを苦々しく思っていた。しかし、企業や社会において沢山の短期データや短期的なトレンドの変化に一喜一憂する自分が、実はそのような存在であると自覚した。時計と分度器、それに磁石があれば、自分の位置や方向を知ることが可能になる。だからこそ、沢山のデータに惑わされることなく、原点に立ち天測的アプローチを使いながら自らの経営指針を考える事の必要性を、記事は改めて思い出させてくれた」
 筆者も1級小型免許を有していますが、残念ながらそのような六分儀の使い方を学んでいない新制度の資格者です。また、専門的知識を有する方や、碩学と呼ぶにふさわしい豊富な知識を有する方とは比べるべくもない、途上の身であります。
 それでも、前回のコラムで領土問題という硬派のテーマに、このような友人からのコメントに加え、沢山の真剣なコメントを頂いたこと、少なくとも提起した課題の設定は間違っていなかったのだ、と勇気づけられました。共に天測を学んでいくつもりで、これからもよろしくお付き合いをお願いします。

100件を超える読者コメントに対する返事

 皆さんからいただいたコメント、じっくり読ませていただきました。先ず改めて、100件を超える真剣なコメントを頂いたこと、私が投げた小石を契機に、多くの方々が領土問題を真剣に考えてくださった証左であり、かつそのような方々が沢山いらっしゃることを大変に嬉しく思っています。
 私が提起した内容に関する捉え方は、あくまで個人の考え方の問題ですが、このような課題提起を正面から行ったことに関しては、おおむね肯定的に捉えて頂いたようです。その中で、幾つか印象に残るものを取り上げた上で、コメントをさせていただきたいと思います。

【読者コメントから 1】
 いつからバカになったのか、ということでは1951年9月8日(サンフランシスコ講和条約)、あるいは平成のバブル経済(頂点は1990年1月の大発会?)を挙げて頂きました。また、教育問題、ITの普及、あるいはマスコミが私達をバカにした、というコメントも多く頂きました。
 これに関して、あらためて筆者も考えましたが、未だに明確な答えを得ていません。今までに一番ピンと来た答えは、財務省の知人から口頭で聞いた、「旧制高校出身者が一線を退いてから財務省がだんだんダメになって来た」というコメントです。
 あるいは、危機感が無い事が問題なのでしょうか? ただ、バカになったのは我々自身であり、やはりこのことを自分たち自身の問題として捉える事からスタートするのではないかという課題提起で、ここはひとまず議論を収束させておきたいと思います。


【読者コメントから 2】
「責任回避*他者依存*主体性欠如*横並び思考*不勉強=思考停止状態」
 という方程式を経営者の方から頂きました。微分方程式の独立変数、あるいは因数分解の項を発見することは、ファジーな状況をデジタル化する第1歩です。これらは、現代の日本において大なり小なり、上から下まで通して見られる現象ではないかと思います。筆者もこの方程式には、改めて多くの気づきを頂きました。どうもありがとうございました。


【読者コメントから 3】
日本という国のビジョンというか、大局的な目標と自らの立ち位置に関する前提を考えることが先ではないか、
 というご指摘も幾つか頂きました。
 おっしゃる通りであると思います。ただ一言弁解させて頂ければ、そのような内容について皆さんに考えて頂くための材料を提供するには、相当な時間と内容が必要であり、そのためには皆さんにも分厚い内容を読んで頂かなくてはなりません。
 果たして、最初からそのような内容を提示して、どれだけの方が思考の中に飛び込んで下さるでしょうか? あえて昨今話題のテーマの中で、このように日本の在り方を考える入り口として、領土問題を選択させて頂いたことを謹んで告白させていただきます。


【読者コメントから その4】
(1)日本と中国の貿易相互依存度に関して、恣意的なデータの使い方ではないか、(2)日本のGDPに外需が占める割合は小さいのであるから輸出依存度はクリティカルな問題ではない、あるいは、(3)中国こそ日本の技術や部品や資本に依存しているのであるから輸出に占める相手国の割合はむしろ逆に捉えるべきである、
 などの指摘を頂きました。
 指摘には、もちろん尤もな部分もあります。
 ただ、この3つの論点に関しては、私もそれなりに考えた上で前回のコラムを書かせて頂いたところなので、ここでは、このご指摘に関する私の考えを紹介したいと思います。
 もちろん、私は経済学者ではありませんし、ここで展開しているのは幾つか省略のある極めて概括的な議論です(その分、世間のものよりは判り易いとは思います)。もし、精確性を欠く部分がありましたら、謹んでお詫びするとともに私の後学のためにもご指摘を頂ければ、と思います。
 先ず、輸出依存度の件に関しては・・・日本経済におけるGDPの貿易依存度は為替レートにより変動しますが、おおむね20%以下、世界でも内需経済が大きな国の1つであり、ドイツや韓国などに比べる、と低いことは事実です。
 ただ一方で、日本は資源の少ない国であり、2009年度における資源や食糧、エネルギーの輸入に約35兆円を費やしています。このクリティカルな輸入を継続的に確保するためには、当然のことながら、継続的に外貨が必要になります。
 それを賄う主たる手段は、現在のところ輸出と所得収支(通常は海外から受け取る金利や配当に雇用者所得、いわゆる出稼ぎの収入を加えたものですが、日本の場合はほぼ前者が全てと考えて差し支えないと思います)をおいて他にありません。サービス業を中心にした内需は、輸入資源の上に成り立つ“繁栄”であり、GDPの貿易依存度とは関係なく、日本にとって輸出は極めてクリティカルであるとの現実がそこにあると私は考えます。

 

 

脇道にそれて、日本経済の概観を

 
せっかく貿易統計の話をしたので、少しここで日本経済を概観してみましょう。
 

2008年における日本のGDPは約516兆円、うち鉱工業は21%で約108兆円です。そして日本の輸出は71.1兆円、うち68.1兆円が鉱工業製品です。
 日本の鉱工業における付加価値生産額と出荷額の比率は2008年度を見ると、約30%なので、付加価値生産額108兆円から逆算した鉱工業出荷額は360兆円になります。輸出が71.1兆円ということは、鉱工業出荷額のうち約20%(71.1兆円/360兆円)が、輸出に向かっていると思われ、巷間言われている事とおおむね一致します。
 一方、2008年度における日本の輸入額は71.9兆円、うち約6兆円が食糧、原料が5兆円、燃料が24.5兆円、そして残りの36.4兆円が各種の鉱工業製品です。
 燃料が鉱工業に使用されている割合に関しては諸説がありますが、ここでは16.3兆円(約2/3)としましょう。食料はすべて日本国内で日本人が食べると すると、日本の鉱工業は主として原料の5兆円に燃料の16.3兆円を加えた21.3兆円を使用もしくは加工し、36.4兆円の輸入工業製品の一部を組み合わせることにより、108兆円の付加価値を産み出している ことになります(この金額は設備投資も含んだものですが、ここでは含めて考えるということでご勘弁ください)。
 このような大きな価値を生み出すためには、差別化した価値が重要であり、そこには日本が誇る高性能磁石や電池、精密な測定機などに使用されるレンズの技術等、様々なハイテク技術が貢献していることは、容易に想像可能であると思います。
 我が友人・東京大学生産技術研究所岡部徹教授が考案した、「走るレアメタル」といった言葉で表現される特殊技術などが、大きく付加価値生産に貢献しているのです。
 日本にとって鉱工業の付加価値に基づいた輸入で外貨を稼ぐことは重要、したがってその付加価値の創造に於いて重要な役割を果たしているレアメタルの輸入問題は、日本にとって極めてクリティカルな課題であることが、この説明でお判り頂けるのではないでしょうか?


いやいや、日本は海外への直接投資ネット残高43.3兆円および証券投資や外貨準備そのほかで182.2兆円、合計225.5兆円(2009年3月末)の見返りとして、所得収支15.8兆円を稼いでいます。
 これがあれば食料と生活に必要な燃料のすべて(6兆円+24.5兆円*1/3=14.2兆円)を賄いお釣りが出るではないか、と言う人もいます。
 確かに、この225.5兆円の蓄積は過去累々と積み上げてきた、日本が第2次世界大戦後の焼け野原から経済的な成功を成し遂げた証としての資産です。このような蓄積をもつことが、日本とPIIGS等他の債務国とは大きく異なるところです。
 しかし、世界的な低金利による収入減、そして現状における日本経済の不振による対外純資産の減少を考えると、今後の所得収支に関する見通しは、必ずしも明るいものではありません。
 また、投資を中心にした経済に移行すれば良いという、投資立国論を唱える人もいます。しかし、その為には鉱工業に従事する国民の雇用問題の解決、そしてより大きな格差社会を容認する事が必要となり、それは小泉改革など比較にならないくらいの大きな痛みを伴う、実現不可能な構造改革ではないかと筆者は考えます。
 お金にお金を稼がせるという事は、資本主義のエッセンスです。それを国策として遂行するシンガポールのシステムは、人工都市の上で中国華僑のそれをベースにアングロサクソン流の伝統が乗った、徹底した実力と階級の社会になっています。あのような微罪でホリエモンや村上世彰を排斥する日本の社会に、とてもそのようなシステムが可能であるとは思えません。
 以下参考まで、たまたまこの記事を書くためのデータ検索で見つけた、投資立国の議論にFTAやEPAの問題を絡めポイントを簡潔かつ明瞭に提示している、おがた林太郎代議士(民主党ですがBlogを読む限り余り党派性を感じさせない事実に基づいた議論を展開する方と見受けました)のBlogを紹介させていただきたいと思います。
 いっぽう中国にとって、日本の資本や部品、製品はどれだけクリティカルな存在なのでしょうか? 例えば新幹線、あれは日本の技術のコピーだと言われています。ところが、私は業界の専門家の方々と良く懇談する機会が有るのですが、中国の新幹線技術はヨーロッパと日本のいいとこ取りをして、車両技術としてはすでに日本を超えているそうです。
 最近、中国で時速350kmの運転席に試乗した私の知る日本有数の鉄道オタクからも、同様の話を聞きました。すべからく、大きな需要が有るところに、新しい技術や産業は育つのです。

 

製造業の優位性は「あと3年」

 資本はどうでしょう?
 これも同様です。中国は日本の資本を求めている、というのはもはや数年前の残像でしか有りません。現在の中国には、技術とお金が有り余るほど集まって来ています。筆者の知る限り、お金と需要が有る中国は、既にかなり多くの分野で日本の技術に並びかけ、抜き去っています。
 例えば溶鉱炉の設計、新規建設が無い日本に、もはや最新のエンジニアリング技術は有りません。有るのは耐火レンガを積む匠の技。日本の鉄鋼メーカーが海外で建設する最新の溶鉱炉について、高度なコンピュータシュミレーションを含むエンジニアリングは中国企業、そして、耐火煉瓦積みを指導するのは日本人熟練技術者になる可能性があるという実態は、どれほど多くの方が御存じなのでしょうか?
 そして東大をはじめとした全国の大学において、昨今日本の学生に不人気な工学系の大学院には、中国人や韓国からの留学生が溢れ、最新鋭の技術や知識の習得に余念が有りません。自動潜水探査艇を使って、日本近海の海底資源を調査・研究するのが中国人留学生という実態が、そこに有るのです。
 敢えて大胆に全体の平均で言えば、日本製造業の技術における中国企業に対するリードは、デジタルに根拠を問われると苦しい、日頃の企業や大学における研究者との会話から得ている感覚的なものですが、そのかなりの部分があと3年で埋められてしまうのではないかと筆者は思っています。
 中国にとってもはや日本の存在は技術や経済資産の草刈り場としては意味が有るが、市場としての存在と併せても経済的には決してクリティカルなのものではない。日本にとってのレアメタルのような、中国にとってクリティカルな日本製の製品や部品は減少しつつあり、ここ数年のうちにはごく一部しか存在しなくなる、というのが筆者の見立てです。間違っていれば良いのですが。

 

本論に戻って 貿易依存度の議論を

 貿易依存度に関して、恣意的なデータの使い方ではないか、との指摘が有りました。然り。私は自らJETROの世界貿易マトリックスを使い、このような分析を行いました。それは、レアメタルの禁輸という事態を迎え、果たして日本経済はどれだけ中国に依存しているのか、ということを自分の頭で考えてみたくなったからです。
 インターネットを始め、オープンソースにある様々な資料を検索しました。尤も最近の成果で、私の関心にそれなりの答えを与えてくれたのが、日本経済研究センターが平成20年に財務省の求めに応じて行った、この調査です。

日中経済の相互依存関係と中国経済の変動の波及経路
 ところがこの調査、2006年のデータを基に2008年に行われた調査です。このような変化の激しい時代に於いて、バックミラーの遠い先を見ながら、一体何が判るでしょうか? 新幹線、溶鉱炉、バイオ、産業やR&Dのあらゆる分野にいいて、日中の相対的な位置関係は猛スピードで変化しています。

 

幻滅・・・いまの 「霞が関」の分析能力

 ここから先の分析を探しましたが、オープンソースを検索する限り、残念ながら霞が関や学界による日中経済の相互依存度に関する最新の分析は発見できませんでした(読者の皆さん! どこかにあればぜひ教えて下さい)。
 日本において、経済関係のインテリジェンスに関する機能は甚だ貧弱なものです。霞が関に新規参入して1年、筆者が以前霞が関に抱いていた、「日本最大のシンクタンクでは常に最新の分析が行われており、それに基づいた日々の意思決定が行われている」という幻想は、はっきり言ってもろくも崩れ去りました。
 経済や金融分野、特にグローバルな観点でのインテリジェンスは、メガバンクの調査部の方が組織だっていて、優れていると思います。軍事や安全保障に関するインテリジェンスに関しては、残念ながら今のところ触れる機会は有りません。経済関係のものに比べれば、もう少しましなのかもしれませんが、過度な期待は禁物であると思います。
 因みに我が友人の岡部教授は、何年も前から念仏のように「戦略的なレアメタル備蓄の必要性」を問うていました。彼曰く、「日本政府のレアメタル備蓄は、特殊鋼の材料であるクロムやモリブデンに偏っており問題、真に必要な備蓄は走るレアメタルの原材料であるディスプロジウムを中心にしたレアアースなんだ!」、と。
 彼は2010年の初めには、いつも話している経済産業省だけでなく、外務省の人間にもその事を伝えたそうです。若手官僚は、岡部先生の話を聞き「良く判りました」と満足そうに帰っていたそうですが、結果として何も手が打たれなかった事、今回のレアアース禁輸問題の顛末を見ても明らかでしょう。
 このように、情報と時間に対する価値や感度が低いこと、日本にとっては重要な問題だと思います。参考までに、以下はアメリカのNational Intelligence Councilのホームページです。興味のある方は、「2025 Project」の内容を是非めくってみてください。
 一流の人材を集め議論した、政治や経済、社会のみならず科学技術や農業など、様々な分野におけるグローバルで長期的な視点からの内容が溢れています。
 一般的には極めてドメスティックな国家であるにもかかわらず、国費をふんだんに使いこのような情報分析を行い、イランや北朝鮮を含む世界に公開するところ、改めてアメリカの度量の広さと傲慢さを、思い知る気がします。

 

なぜ、特定国への輸出依存度がクリティカルなのか?

 貿易に関して、国がとりうる措置は「輸出しない」、および「輸入しない」という二つのアクションです。したがって、占有率は重要な要素になります。私はそのような分析を探しましたが、残念ながら得ることができませんでした。
 したがって、最も原始的な手法で占有率のトレンドデータを分析したのです。凡そ現代の経済に於いて、軍事を除き代替物のない加工貿易財は存在しない、というのが私の考えです(高性能磁石が代替物のない加工貿易財かどうかは議論のあるところかもしれませんが、中国の電気自動車を見る限り高性能磁石が中国国内市場にとってクリティカルとは思えません)。


 日本は、武器輸出三原則が有るので、当然のことながら武器輸出をしていない、そしてクリティカルな資源や輸出品としての加工貿易財も有していない、ゆえに貿易で本気で喧嘩をすれば中国には惨敗するのではないか、
 というのが私の仮説であり課題提起です。
 もちろん、経済学者他の有識者による今後のより詳細な検討を待ちたいと思いますし、筆者としても継続的に考えて行きたいと思います。企業の皆さんにも、常日頃から自分の分野で、考えて欲しいテーマです。そして可能な範囲を、ぜひとも読者を含め共有いただきたいと思います。

 

次回から、本題に入ります テーマは「日本の近代史」

 簡単にイントロで皆様からのコメントへの回答をしたうえで、もともと今回のテーマとして、これからの皆さんとの議論を進めるにあたってベースとする目的で選んだテーマ、「日本の近代史:龍馬伝から坂の上の雲を経て平成バブルの崩壊まで」を書くつもりでした。が、ここまでに相当の分量を費やしてしまいました。
 今回はひとまずここで終了したいと思います。今回の内容や次回への期待、何でも構いません。前回同様、皆さんの忌憚のないコメントをよろしくお願いいたします。