前回の社史とその周辺を研究してみた結果は、如何でしたか?
きっと、それなりに色々な発見が有ったのではないかと思います。そこから紡ぎだされた自社の強みと弱みに対する仮説も、しっかりと紙に書きましたね。時代の相場観が、A4の紙でせいぜい2~3枚、強みと弱みに関する仮説が1枚、合計で3~4枚でしょうか(個人差あります、無論)。
しつこいようですが、思考停止の罠に陥らないようにして、これからそれを磨いていく(場合によっては一から書き直してしまうこともあるでしょう)、その継続的な努力を忘れてはなりません。
10年後を考えてみる
さてここから、作成した10年+を見据えた資料を常に参照しながら、いよいよ長期的なビジョンと、実現するための戦略を考えていきます。では、長期といえば、どれくらいの期間を考えるのでしょうか?
業種や企業の社齢、あるいは企業時計の速度により異なる部分はあると思いますが、ここでは、想像可能なぎりぎりの時間軸、10年程度先を考えていきたいと思います。
どこからか、「このような時代の転換点で、10年先のことが判るのか!?」という声が聞こえてきそうです。確かにごもっとも。そんな先のことが判るようであれば、何にも苦労はありません。
「今回の金融危機のようなことが起きたら、状況は全く変わるじゃないか!?」これもまた、もっともな指摘です。このような100年に一度とも言われるような不連続な変化は、簡単に予測できるものではありません。
マイビジョンとコーポレートビジョン
ここで重要なのは、色々な要素を織り込み、とにかく自分で将来の状況に関するシナリオを作り上げていくことです。
自分で作成した、隅から隅までを理解した未来環境シナリオ、そしてその上に構築した自社のビジョン、それを実現するための戦略。この3つのセットを、常に調和のとれた形でメンテナンスしていくことが、すなわち、長期的な視点とぶれない機軸を維持することになるのです。
想定した10年先の状況に関して、その前提が変わった場合、それに応じて必要であればビジョン、さらには戦略を見直していく。その出発点としての整理が今回の作業なのだと理解してください。
ここで1つの注意すべき点があります。それは、あなたが作成するビジョンはマイビジョンであるということです。
コーポレートとして公式のビジョンや戦略を描く場合、より多くの要素を網羅的に検討することが求められます。それはコーポレートという、多くのステークホルダーによって構成されている組織として、ある意味当然なことです。
ただ、往々にしてその結果、(企業の性格にもよりますが)一般的には、最大公約数的でリスクに対して慎重な、勝つことより負けないための要素を重要視したものが作成されます。
マイビジョンには、より大きな自由度があります。スタンスとしてリスクを取るのも良いし、極端に保守的になるのも良い。また検討における網羅性は、必ずしも必要条件ではありません。
したがって、私がこれから提示するアプローチは、巷に溢れる経営ビジョンや戦略の本に書いてあるコーポレートビジョンを前提とした内容とは、多少異なった部分があることをご了解願います。
もちろん、底流に流れる思想や方法論は同じですし、マイビジョンの構築が目的ではなく、コーポレートでビジョンや戦略構築を行う際の参考にしたくてこれを読んでいる方の為に、その違いは、なるべく正しくコメントしていくつもりです。
そもそもビジョンとは、そして戦略とは何か
ビジョンは、世の中において語られている重要な概念の中で、人によりその定義のばらつきがとても大きなものの1つです。ビジョンは将来の姿であり、像であり、理解するよりイメージできるものであると言われます。そしてその表現形式には、言葉もあれば、ビジュアル、音声、何でも使うことが出来ます。
例えば、私の友人にして大企業の社長は、自社のビジョンや経営戦略に関して、言葉や数字ではなく絵で描きます。ビジョンには、およそ表現形式に制約はありません。
それでは、コンテクストはどうでしょう? 必ず、姿であり像を描かなくてはいけないのでしょうか? ここでちょっと時間を使って、わが日本政府がこの10年のあいだ作成した、2つのビジョンを観ていただきたいと思います。
■日本21世紀ビジョン(香西泰専門委員会会長:2005年)
・開かれた文化創造国家
・時持ちが楽しむ健康寿命80歳
・豊かな公・小さな官
・時持ちが楽しむ健康寿命80歳
・豊かな公・小さな官
■21世紀日本の構想(河合隼雄座長:1999年)
・日本のフロンティアは日本の中にある―自立と協治で築く新世紀―
いかがですか、クリックをして要旨だけでも見ていただけましたか。コンテクストでいえば、「日本21世紀ビジョン」は、さすがにビジョンと書いてあるだけに、将来像と経済の姿と銘打っていますし、内容にもそれらしきことが書いてあります。
一方、「21世紀日本の構想報告書」に関しては、特にビジョンのコンテクストでは書かれてはいません。むしろ、起承転結を重視して、21世紀に向かう日本が向かうべき方向を、箇条書きで示す方式がとられています。
しかし、果たしてどちらの内容が、より将来の姿(=ビジョン)をくっきりと示してくれるでしょう。私には、どう見ても、ビジョンのコンテクストで書かれていない「21世紀日本の構想」のほうが、遥かにくっきりと将来の姿を示してくれているように思えます。
この原因はなぜでしょう。言葉の錬度、項目の順序、網羅性、文章の統一感・・・そして何よりも、ほとばしる気が感じられること。そのようなさまざまな要素が絡み合い、ビジョンを表現するのです。
余談になりますが、この両方を読み比べて内容の品質を評価し、かつ内容の扱い方、例えば説明会の在り方や外国語への翻訳対応(「21世紀日本の構想」は英中韓の3カ国語翻訳を掲載:「日本21世紀ビジョン」は英語のみ)を見ると、わずか6年の間に日本が劣化しているのが良く判りますね。
おそらく実現されると思われる民主党政権では、このようなディテールをぜひ大切にしていただきたいと思います。竹中平蔵氏が常日頃言っているように、真実は細部に宿るものです。
シナリオ・プランニング
シナリオ・プランニングは、不確実な未来に備えるため起こり得る複数の未来環境を定義する手法で、ローマクラブの「成長の限界」の作成などに用いられました。
そして1980年代にシェルグループが、この手法を用いたセッションを定期的に繰り返すことで、ゴルバチョフの登場から共産主義ソ連の解体を比較的早いタイミングで戦略に織り込むことが出来たため、結果的に大きな利益を上げたことで一躍有名になりました。
シナリオ・プランニングは、水晶玉で未来を覗くためのものではありません。むしろ、将来の不確実性を具体的なシナリオという形で可視化することにより、共通認識や戦略の構築、あるいは意思決定に活用していくための方法です。そのスコープとしては、世界経済や社会に関して地球レベルで行われるものもあれば、企業の戦略立案のため日本国内のXXに関する市場、といったニッチなレベルのものまで幅があります。
具体的な展開にあたっては、様々な目的が考えられますが、不確実性が将来へ与える影響をなるべく少なくするような戦略を構築するために活用されることが多いようです(将来どのようなシナリオが具現化しても、過度のリスクが具現化しないような対策を講じる、あるいは生きる投資や戦略的な方向性を採用する)。
シナリオ・プランニングに関しては、インターネットで様々な情報を拾うことも可能です。探していくと、実績のある研究所が出した米中関係今後のシナリオとか、世界のエネルギー需給に関するシナリオなど、面白そうなものを掘り出すことが出来ますので、興味のある方は検索をしてみてはいかがでしょう。
また、内容をもっと理解するためには、何冊か出版されている本のどれかを選んで読んでみたらよいでしょう。定番本に近いものは、以前にちょっと話題になった、ピーター・シュワルツが書いた『The Art of the Long View』(邦題は『シナリオ・プランニングの技法(Best solution)』。1991年に出版されたこの本の中で著者は、大胆にも2005年の世界をシナリオ・プランニングで予測しています)ですが、訳書は残念ながら絶版のようです。
シナリオ・プランニングで考える、あなたの会社の10年後における環境
【変化ドライバーの抽出】
さあ、いよいよシナリオ・プランニングの手法を使って、10年後、あなたの会社が置かれているであろう、外部環境を予測してみましょう。 そのためには、まずこの10年で大きな変化が予想され、かつあなたの会社が影響を受けそうな要因を抽出します。貴方がここまで作り上げてきた相場観を、自社の歴史と現状における強みや弱みと対比させ、外部環境として、よりデジタルにするための試みを行うと、考えていただいて良いでしょう。
具体的には、以下のようなフレームワークに基づいて、変化ドライバーとなり得る項目として思いつくものを、抽出していきます。
マクロなフレームワークとして用いたのは、SEPTEmber(STEEPと呼ぶ人もいます)、ミクロなフレームワークとしては、マイケル・ポーターのFive Forces Modelをベースとして使いました。もちろん、PESTや他のものでも構いません。あなたの相場観を参照しつつ反復しながら、変化ドライバーとして考えられるものを、各項目について、出来れば3~4要因は最低でも抽出していただきたく思います。
なかなか項目を出すのが難しいようであれば、現社長の就任演説や現在の経営計画、もしくはアナリストレポートなどが有るならそれも、読んでみるのも良いでしょう。業界本なども、場合によっては良いかもしれません。
ただ、くれぐれも短期的な視点にとらわれず、中長期の視点で要因を抽出するように心がけてください。そのような資料や本は、私の知る限り、網羅的で長期的な視点を持っていることは、ほとんど稀です。くれぐれも、そのようなものを読んだ結果として、「思考停止の罠」に陥らないように気を付けてください。
【重要要因の特定】
次に、抽出した変化ドライバーを、自社へのインパクトを縦軸、予測可能性を横軸にしてプロットしてみます。付箋紙などを使っても良いでしょう。この中で、自社にとってインパクトが小さい項目に関しては、特に取り上げる必要はありません。インパクトが大きくても、比較的予測が可能な項目に関しては、環境の記述項目にはなりますが、特にシナリオの軸になることはありません。自社へのインパクトが大きく、かつ向かう方向について現時点で両論がある要因を、シナリオの軸として抽出します。 【想定される4つのシナリオを描いてみる】
そうして、シナリオの軸として選んだ要因を、X軸、Y軸において、想定される4つの世界を定義してみます。この作業は、軸を色々と入れ替えて、自分がしっくりくるまで繰り返してみます。各シナリオに、名前を付けてよりイメージをくっきりさせるのも、良いでしょう。 【マイビジョンのメインシナリオを選択する】
コーポレートビジョンを作成する場合、ここからさらに各シナリオの世界をより詳細に定義・分析の上、それぞれの場合における戦略を作成し、その中で共通のKSF(キー・サクセス・ファクター:主要成功要因)を抽出する、あるいは各シナリオの実現に至る過程での特徴的なEWS(アーリー・ワーニング・サイン:先行指標)を抽出し、戦略実行段階の方向性に関する時系列的な選択肢を定義することを行い、最終的にビジョンとして取りまとめます。 しかし、今回作成するマイビジョンでは、自分として将来の世界として最も可能性が高いと思われるシナリオを、メインシナリオとして選択します。すなわち、あなたがここまで養ってきた将来に関する相場観を、企業外部環境に関する将来のシナリオとして、定義をするのです。
さらに、もう1つの工夫を加えます。それは、変化ドライバーとして、現状から大きく変わるものを2つの軸とするように再構成することです。このことにより、メインシナリオにおける外部環境は、現状からの変化ということでよりくっきりとします。
ここまでの作業において、蓋然性(がいぜんせい)が高い変化ドライバーを抽出して整理してきたものを、メインシナリオを選択することであえて予測し、そうして必要ならば(メインシナリオを選択した際、将来について変化ドライバーが現状からあまり変わらない場合を選択した場合には)、別の変化ドライバーとして現状から変化が有り、かつ自社への影響が大きなドライバーを探す作業を行います。
その結果、シナリオ・プランニング本来の目的からは多少逸脱しているかもしれませんが、以下のようなメインシナリオを中心に、現状、2つのリスクシナリオの合計4つの世界で構成される、あなたが考える10年後の外部環境シナリオが作成できるはずです。
くどいようですが、このシナリオに関しては、とにかく自分がしっくりくるまで繰り返し試行の上、定義してください。周囲の人といろいろ議論するのも良いでしょう。そもそも構築に際して、グループで取り組むことが出来れば、より完成度が高いものが作成できる可能性が高まります。
ただ、最後は自分の決断と納得感です。それが無いと、ぶれない基軸にはならないことに留意願いたいと思います。
次回は、ここで定義した10年後のシナリオの上で、ビジョンと戦略を作る方法について、説明して行きたいと思います。
なお、前回の内容で、テレビ番組のコメンテーターに関する部分、多くコメントをいただきました。
私が指摘したかったのは、テレビ番組でステレオタイプな如何にも浅いコメントが、ある種の害を流していることです。
細かく指摘するときりが有りませんが、例えば、つい最近もある歌手のコンサートに対して、インターネット掲示板に殺人予告があり混乱したとの報に対して、あるコメンテーターは以下の主旨を発言しました。
――インターネットの時代になり、このような事が誰でも出来るようになり、警察が捜査する手間もかかり大変だ。何らかの対策が必要。
これに関して、私は以下のように思います。
――インターネット以前にも、新聞社やTV局に脅迫状を送ることは誰でも出来た。
――愉快犯の数、警察の捜査コスト等、インターネット時代である現代において定量的な負荷はどうなのか?
――ストレートに読むと、インターネットに何らかの規制が必要なように読めるが、妥当か? また、仮に規制するとして全面的閉鎖以外に何らかの方策が有り得るのか?
――このコメントを聞いた素直な人たちには、「インターネットは危ないから規制をしたほうが良い」という印象が頭の中に残ることが予想されるが、果たしてそのことは正しいのか?
私が指摘したかったのは、テレビ番組でステレオタイプな如何にも浅いコメントが、ある種の害を流していることです。
細かく指摘するときりが有りませんが、例えば、つい最近もある歌手のコンサートに対して、インターネット掲示板に殺人予告があり混乱したとの報に対して、あるコメンテーターは以下の主旨を発言しました。
――インターネットの時代になり、このような事が誰でも出来るようになり、警察が捜査する手間もかかり大変だ。何らかの対策が必要。
これに関して、私は以下のように思います。
――インターネット以前にも、新聞社やTV局に脅迫状を送ることは誰でも出来た。
――愉快犯の数、警察の捜査コスト等、インターネット時代である現代において定量的な負荷はどうなのか?
――ストレートに読むと、インターネットに何らかの規制が必要なように読めるが、妥当か? また、仮に規制するとして全面的閉鎖以外に何らかの方策が有り得るのか?
――このコメントを聞いた素直な人たちには、「インターネットは危ないから規制をしたほうが良い」という印象が頭の中に残ることが予想されるが、果たしてそのことは正しいのか?
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